年商10億円の伸び悩み問題を「組織的プロジェクト進行能力」の視点で考える

この記事について

着目する問題:
企業成長の壁「年商10億円の伸び悩み」の実態とは?

筆者は独立して以来、超大手企業、大手企業、中堅企業、成長企業、ベンチャー、スタートアップ、少数精鋭企業にひとり社長まで、幅広い法人・人と、「プロジェクト」という言葉だけをキーワードに、様々な関わりを持たせていただいてきました。

そのなかで、

・年商:5~15億円規模
・従業員数:50~100人規模
・創業社長による強いリーダーシップ

といったプロファイルに当てはまる企業の「規模拡大の、伸び悩み問題」が、どうしても気になるようになりました。

こうした組織のトップには、まず例外なく、極めて高い「個としての総合力」が備わっています。

上記のような「極めて高い個の力」に加えて、
「時代の要請に基づく大きな需要や市場」
「その求めに応じる解決策、独自のコンセプト」
この3つが組み合わさらないと、10億円規模の事業体が生まれることはありません。
ゆえに、そんな企業のトップは、時代の申し子としての資質を有していると、間違いなく断言できます。

高い「個としての力」が経営者に備わっていて、さらに資金や実績、信用、組織も有している。
なにも特別なことはせずとも、20億、30億と拡大していきそうなポテンシャルを、自他ともに、内外の関係者がみな感じている。

にも関わらず、なぜか、よくわからない不思議な壁に直面してしまう。

そうした状況が、意外と非常に、多いのです。

一体、なぜなのだろう?ということが、このコラムのテーマです。

そして、結論から申しますと、この伸び悩み問題は、

という状況が、最頻パターンであると感じています。

では、考えるのが面倒で、つい思考停止しがちな、日常的な所作にまつわる問題とは、具体的にいうと、どういうことでしょうか。
こうしたことが起きている職場で、高い確率で起きていることを例示してみましょう。

こうした話に対して、
「だいたい、世の中、そんなもんだろう」
「どこの会社って、まぁ、そんなものじゃないか」
「目下のトラブル対応や喫緊の課題と比較すると、優先度が低い」
と、思う方も多いかもしれません。

確かに、ひとつひとつはよくある話ですし、ひとつひとつの日常的な問題は、ただちに会社の屋台骨を揺るがす、というほどのことではありません。

しかし、これらが発生する過程を考えると、日常的な問題こそが、経営における最優先課題であることが、ただちに判明します

伸び悩みを引き起こす原因:組織に潜むボトルネック

規模が小さいうちは、これらの話は、致命的な問題には、なりません。なぜなら、人間が機転を利かせて、柔軟に対応できるからです。
しかし、人間の認知・処理能力には、限界があります。業容拡大し、30名、40名、50名と人が増えていくと、当然ながら、その職場に発生する人的問題を、個々の力では解決することはできなくなります。

そこで必ず会社は、機能分化し、分業化、階層化をします。各業務に適したITツールも導入します。
それらの業務改善には、各々の責任者が責任を持つ、ということが通常です。

たとえば、

といった具合に。

いまどきは、こうしたITツールはソフトウェア単体で動くものではなく、そこにひも付き連携する人的サービスや、それを提供するベンダとも協働することが通常です。

こうした構図は、ごく自然な話であるように見えて、実は、本来あるべき姿とは、かなりかけ離れています。
その心は、会社の仕組みづくりにかける資源が分散されていて、統合性を欠いてしまう、ということです。

もちろん、そもそも人間という存在自体が矛盾したものですし、その集合体である法人が一貫したものであるわけはありません。ゆえに、「よくわからないキメラ」なあり方は、自然な姿ではあります。

とはいえやはり、その矛盾に平気でいられるのは、経営者の側だけであって、従業員や顧客は、法人に対して一貫性を期待するものです。

筆者が幅広い規模の企業とお付き合いしてきた結果、この期待値ギャップが、明確な痛みとして我慢できなくなり、成長に歯止めをかけるタイミングが、売上10億円ラインである、と、感じています。

漠然としたモヤモヤ感があるなかで、ネガティブな形での、従業員や顧客の離脱、という事件が起きると、スワや一朝事あらばと、鶴の一声で、以下に挙げるような施策が実行されることもあります。

確かに、どの施策も、意義や効果が、必ず、あります。

しかし、こうした起死回生の打ち上げ花火的なプロジェクトが、社員には「朝令暮改」に見えてしまい、徐々に徐々に、心の距離が離れていく、ということも、しばしばあります。構想の筋のよろしくない打ち上げ花火プロジェクトは、よくわからないキメラ状態を是正せず、むしろ助長してしまうリスクが、常にあります。

この話は、思ったよりも重大です。なぜなら、成長中の事業は、その過程で必ず、

という問題に直面するからです。

これが悪化すると

という問題に発展していきます。

これを放置した先にあるのは「いつかどこかでみたことのある、よくある職場」です。

志のある経営者は、決してそのような会社にしたくないと願うものですが、よくわからないキメラのような事業体が形成されてしまうと、誰も望んでいないのに、なぜか会社が、そちらに引き寄せられてしまうものです。

そもそも経営者には、その願いを叶えるよりも優先度の高い問題があります。会社や事業を存続させる、ということです。存続しなければ、理想の職場どころではないのです。そして、事業の存続を危ぶませるような問題は、次から次へと発生します。

どんな万能な経営者でも、あらゆる現場のディテールまでコントロールはできません。「そこから先は、あんじょうよしなにやっておいてください」というラインが、必ずどこかに、引かれます。
一方、社員の立場は、自分の守備範囲をしっかりやりきることが、当たり前ですが、優先します。

こうした構図で、よくわからないキメラ状態は、発生します。みんなが良かれと思ってやっているのに、全体としての幸せに繋がらない、という状況は、数多くの矛盾の集積の結果です。原因が結果を呼び、結果が次の原因を呼ぶというサイクルに呑み込まれてしまうと、どんなに有能な人間でも、対処が困難になってしまいます。

脱却のための指針

筆者は、独立するまでに三社の会社員経験をしました。新卒で就職したのが2006年でしたので、社内システムはオンプレミスが常識、という時代から、クラウドへの移行期、クラウドが常識、という時代への変遷を、リアルタイムで経験してきました。

そのなかで、製造業のIT化の真っ只中にいたり、中堅企業の新規事業開発の苦労をとことん味わったり、SaaS型の業務システム導入の切った貼ったも繰り広げてきました。

独立後は、さらに活動領域を広げて、ドローン、保険、Web広告、自動車製造、インフラ、地方行政機関など、さらに広い世間の方々と触れ合い、仕事をしてきました。

数々の修羅場をくぐればくぐるほど、心の底から、「なぜ?」という疑問が湧いてしまって、しょうがないのです。

世の中は、実に便利な機械やソフトウェアに満ちている。
いわゆる「プロダクト・マーケット・フィット」を達成し、「スケール」し、ヒットを飛ばしているサービスも多い。
ノーコード、ローコードツールやRPA、AIなど、エンジニアでなくても動かせるITツールも次々登場している。
ネットには日々情報が蓄積され、大変な量の知識に、いつでも簡単にアクセスできる。

それらの全てが例外なく、利便性や革新を謳っている

どのユーザ企業にも、どの提供ベンダにも、有能な人はたくさんいる。
そのほとんどが、良かれと思って、自分の持ち場で頑張っている。
SNSやメディアには、キラキラとした事例が、いくらでも掲載されている。

にも関わらず、「職場」と称される場は、一向に、なにも変わる気配がない。

世代間の相互不信は、一向に、なにも変わる気配がない。
地方と都市部の相互不信は、一向に、なにも変わる気配がない。
日本の景気の悪さや先行きへの不安感は、一向に、なにも変わる気配がない。
立場の弱い取引先に、矛盾やコスト、リスクが押し付けられ、搾取的構造がなくならない。
学校に行きづらい子どもが増えていると、情報としては知っていても、どうすることもできない。
国や地域における紛争や怨恨の輪が、いつまで経っても、断ち切れない。
気候変動や環境問題は、理屈ではわかっていても、一向に、日常の行動には反映されにくい。

だんだんビジネスや職場の話からスケールを逸脱しているかもしれませんが、やはり、各種の社会的問題は、企業組織が抱える問題と、無縁ではないと思います。

企業の公益的な役割として、率先して世の中の問題難題の解決にあたる、という側面があるわけですが、どうもそれがお題目にすぎず、綺麗事の域を出ず、むしろ問題を助長してしまう、ということも、少なからず見受けられます。事業活動の公益性とは、どの立場に立つかによって価値判断や評価も全く変わってしまいますし、多くの人が、社会のために良かれと思って日々生きているのも、事実だとは思いますが・・・

あんまり問題を大きくしすぎると、持て余してしまうので要注意ですが、やはりこう、日々の社会や経済を回す私たち当事者自身が、常に、自らの日常をしっかり見直し続けることには、とても意味があるように思えます。

「先端」でなく「過去に学ぶ」

実のところ、筆者が独立したのは、主に己の未熟によるところにより、こうした「職場のストレス」に耐えかねて体調を崩したからでした。もう、会社にはいられない、と思い、じゃあ、ひとりで働くしかないのかなぁと思って、ゴトーラボという法人を登記したのでした。

多くの仕事をするかたわら、筆者は主に古典と歴史に触れるようにしてきました。

なぜかというと、己の精神的な修養をきちんと積みなおさないと、もうなにをどうしたらいいのか、わけがわからない、という危機感もあったからなのですが、現実的に、メンタルのバランスを崩したときに、睡眠不足その他の体調不良に直面すると、やっぱりこう、仏教的な教えに救われるところがあったり、漢方で体調がよくなったり、ということがあったのです。

こうした意見は、昨今において、特に珍しい、目新しいようなものではないかもしれませんが、筆者もまた、東洋的な世界には、大きなヒントと可能性があるなと、実体験を通して、思っています

東洋哲学の智慧を借りる

とはいえ、闇雲に本屋に行って仏教書を手にとってみると、互いに矛盾するような諸説が入り乱れ、平気で両立しており、びっくり仰天します。まさに、お釈迦さまもびっくり!な、言論の氾濫が起きていて、読み始めた頃は、ちょっとどうかと思ったものでした。

幸い、独立して以来、自分の時間を自由に作ることができたので、大局からつかもう、と、思ってみたのでした。

そして、仏教を知るためには、仏教以前をも知る必要がある、と、考えました。

そこで作ってみたのが、これらの年表です。

このように、仏教哲学の中身ではなく、大局に常に目を向けていくと、ひとつの繰り返しパターンが見えてきます。
1点目は、ローカルなテキストでは大同小異があるものの、理論化(要素分解とフレームワーク)の大域的な傾向です。

2点目は、世界的に、多くの人に、癒やしや救いをもたらしている仏教ですらも、「良かれと思って」複雑化を極めてきたのだなぁ、ということです。

色んな本を読んできて、最終的には、ブッダの生の言葉に近い本を素直に読めば、それでいいじゃないか、というふうにも思いますが、ただそれは「理論」ではなく「詩」に近いものなので、読んでも掴みづらいところがあります。

昔の人も同じように思ったのでしょう、概念化、理論化の結果、随分難しい本もたくさん書かれてきました。

この、理論化と複雑化の文脈において、空海「十住心論」は、非常にコンパクトかつ明確に、東洋哲学のコンセプトを教えてくれるので、オススメです。

さすがにこのスライドだけでは、全てを語ることにはなりませんので、ぜひ、書店で解説書を手に取っていただきたいのですけれども、かいつまんで「さわり」だけご紹介しますと、本書のコンセプトは
「なぜそうなったかを、理解せよ」
「それにより、苦しい苦しいと思っているものが、本来はなかったはずのものだと、気づきなさい」
ということに、貫かれています。

筆者にとっては、この便利なツールに囲まれた現代の「職場」もまた、苦界そのものだと思います。

まぁ、「苦界は別に平気だよ」というタフな方も、意外と多いので、そう言われても、ピンとこないかもしれませんが・・・

一方で、本コラムの主題に戻りますと「成長の伸び悩み問題」を考えるにあたって、「なぜそうなったかを、理解する」という指針は絶対的に有効なアプローチであると、信じて疑わないのです。

東洋医学の智慧を借りる

東洋医学についても、ご紹介しますと、こちらの世界もこちらの世界で、様々な教えの系譜が入り乱れる、大変にダイナミックな世界なのです。

諸派によって、考え方やアプローチが異なるのも、仏教の世界と似ています。

同時に、代表的な考え方を押さえることが大事だ、ということも、似ています。

東洋医学に、「本治」「標治」という言葉があります。治療には、根本的原因に働きかけるアプローチ(本治)と、症状そのものに働きかけるアプローチ(標治)がある、という話です。

この図で大切なポイントは、様々な「本」と「標」は関係し合っているために、どこまで深く原因を考えるかだけでなく、全体を包括的にとらえて、優先順位と順序を差配する、ということが致命的に重要である、という考え方です。

これらのキーワードは、人の体を癒やすために発想されたものですが、法人にもそのままピッタリ、当てはまります。

これらの諸問題は、俳諧と茶の湯に結実していく

以上の議論は「複雑化したシステムの総体を、適度に要素分解し、要素同士の関係性を理解していく」というものです。
「分解して考えるとわかりやすい」「因果関係で紐解くと制御できる」という基本理念は、西洋近代科学における還元主義と、大きく違いはありません。

しかし、決定的な「態度の違い」のようなものもあります。薬理活性における東西医療の対比を見ると、その相違点が明確になります。

要素分解し、フレームワーク化し、事例を知識化し、エビデンスをもとに未来予測をしたうえでアクションする、という土台の部分は同じなのですが、東洋哲学・医学の特徴は「限界までは突き詰めず、ほどほどのところで止めて、むしろ全体としての統合性を重視する」というところです。

東洋アプローチは、理論的には「わかりにくさ」を伴います。制御の確からしさが、決定的でないのです。

これと比較すると、制御工学のあくなき探求は、実に論理的な確からしさに対して誠実であるとも言えます。

「経験的な扱いやすさ」と、「論理的な確からしさ」は、明らかに矛盾し対立するモメントです。

言ってみれば、日本近代社会とは、まさにその矛盾をテーマとして変遷してきたのでした。

数々のITツールによる「制御の論理」が社会の隅々を覆い尽くし、利便性と息苦しさの両方が臨界点に到達しようという、この令和の時代に、歴史にヒントを探るとするならば、松尾芭蕉その人こそが、最大のキーパーソンではないか、と思います。

まだ俳句ということばがなく、俳諧という言葉で詩歌を楽しんでいた当時、大切にしていたのは、その日、その場に集まった人間同士が、「いま、ここで、出会えてよかった」「一期一会を成就させるために、心を尽くす」ということでした。

「いま、ここで、出会えてよかった」「一期一会を成就させるために、心を尽くす」は、言うは易く行うは難しです。しかも、それを五七五の短文で表現するなど、狂気の沙汰とも言えるかもしれません。
その矛盾に対して、松尾芭蕉の出した答は「切る」こと、そして「組み合わせる」ことの精神でした。

部署ごとの「局所的課題解決」ではなく自社全体の「組織的プロジェクト進行」に着目しよう

「指揮命令系統と情報システム」を、ゼロベースで考え直そう

かなりの脱線をしてしまいましたが、本論に戻りますと、これからの組織が、あるべき姿、巡りのよい状態に戻っていくためにはやはり、IT技術を中心とした情報システムを整えていく、ということになるのだろう、と、思っています。

(ロングスパンで人類史を眺めていくと、もしかしたら、農耕も、制御の論理も、ITも、本当には人類には必要なかったかもしれない、ということも、ちらと脳裏をかすめますが、そんなことを言い出しては大変なことになりすぎますし、やっぱり穀物もスマートフォンも、急になくなってしまっては困ってしまいます。そして、たとえ必要悪であったとしても、適切に理解し受容することで、できるだけ副作用を抑えることができるのも事実です)

なかでも、

「社内の情報システムとオペレーション改善に本腰をいれる」
「立て直しに、2~3ヶ月という単位ではなく、2~3年単位の時間を投じることを決心する」
という方向性が、最善だと考えています。

ポイントは、局所的な最適解の寄せ集めではなく、会社全体が包括的にストレスフリーになることを目指す、ということです。

それを目指すに当たってのヒントが、前項で解説してきました、東洋哲学・医学・文学のキーワードです。

筆者にとっては、このような先人の叡智を継承し、経営課題に向き合うことこそが、「よくわからないキメラ」から脱出していくための、唯一の道であるように思えてなりません。

改めて、会社を人体に喩えれば、社内コミュニケーションは、体内を流れる信号を運ぶ、神経ネットワークそのものです。そして、ソフトウェアやITツールは、その機能を強化するインプラントや薬のようなものです。しかし、手は手のために、肝臓は肝臓のために、足は足のために、皮膚は皮膚のためにと、個別の器官の都合で、各所にとってだけ都合のよいものを取り入れているようでは、当然ながら、巡りが悪くなるのは必定です。

これまでの、事業の成長過程で継ぎ足し、継ぎ足ししてきた、組織の神経系統としての「指揮命令系統と情報システム」を、ゼロベースで、あるべき姿から考え直すこと。そしてそのためのIT投資センスを磨く、ということをしなければ、マンネリを自力で脱却することは不可能です。

それは、紙のうえで綺麗な組織図やビジネスモデルを描き、いじくり回したり、システム構成図や業務フローを描いたり、スプレッドシートで膨大な業務を書き込んでいく、ということではありません。

こうした現実に、まずはフラットに、経営チームの総意として、向き合ってみよう、ということです。

組織と仕組みの理想像

日常的に散らかった、「チリツモ」な現実に、経営者だけでなく、経営陣が、チームとして向き合うことは、「組織的プロジェクト進行能力」の向上を図っていこう、というテーマに帰着します。

「組織的プロジェクト進行能力」とは

経営/管理・営業/納品・事務/調整の3つの機能を
顧客のために統合的に働かせるために
健全な自己批判のもとで、会社の仕組みを見直し、
自己変革を構想・実行する一連の活動を
喧々諤々としながらも、組織的に、一緒になって進められる力

ということです。

当たり前の話に見えるでしょうか?

確かに当たり前の話ですが、この当たり前に向き合うのは、非常に難しいし、結論がでないし、面倒なのです。

例えばIT開発にある程度しっかり関わったことのある方や、必死に会社を引っ張ってきた方には、以下の図が、「当たり前に目指すべき、理想」に見えるはずです。

同時に、真面目に考えると、「とうてい実現不可能な絵空事、机上の空想」にも見えてくることでしょう。

10億円規模の伸び悩み企業においては、こうした環境整備に十分な経営資源が投入されていないことで、見えざるボトルネックと非効率が大量生産されていく、ということが、極めて高い確率で、起きています。

組織の神経系統としての「指揮命令系統と情報システム」を考えるうえで、まず第一に考えるべき要素は「人」です。その心は、各種のセクションのリーダーや責任者は、その業務のスペシャリストですが、それがすなわち、必要なIT企画者としての要件を備えているとは、限らないということです。

彼ら彼女らは、自身の業務スキルやパフォーマンスには自信があっても、それをオペレーションとしてITに置き換えるということは、ほとんど経験していないことがほとんどです。ゆえに、皆さん、本当につらい思いをして、孤独と不安のなかで、もがいています。
(そんな内心を、他者に対して表現することは、ほぼほぼ絶対にありません)

そんなとき、ITサービスを売ってくれるベンダが頼りになればいいのですが、運悪く若く未熟な営業やカスタマーサクセス人材が担当についてしまい、見えざる火に油を注いで回る…(しかも誰も、そのことに気づかない、、)なんてことは、実によくある光景です。

立て直しのために、どこから始めればいいか

打開のために、一丁目一番地として手を付けるべきは「ITツールやソフトウェアの導入や運用に責任を持つ立場の人が、本来必要とされる知識、能力、姿勢をちゃんと身につけているのか」という観点での、アセスメントです。

ポストの求める人材要件と、実際にいまいる人材のギャップを把握したならば、次なる打ち手は、いくつかの方向に分かれていきます。

「中の人」として、経営者と一体となり、この問題を主題に走り回る専任者を獲得する

②コンサルティング企業やSIer、IT制作ベンダ等、「外の人」に企画構想を委託する

③いまいる社員や幹部職員へ学び直しや連携改善の機会を提供する

といったところが、オーソドックスな選択肢となります。

まとめますと、自社の組織的プロジェクト進行スキルを立て直していくための順序は、以下の通りとなります。

まずやるべきは、「情報システムの棚卸し」そして「情報システムの関与者へのアセスメント」です。
そのうえで「考えるのが面倒で、つい思考停止してしまいがちな、日常的な所作にまつわる問題」とぶつけ合わせてみてください。

そして、ぜひ、打開の方向性をご検討いただけますと幸いです。

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この記事の著者

後藤洋平,ポートレート

プロジェクト進行支援家
後藤洋平

1982年生まれ、東京大学工学部システム創成学科卒。

ものづくり、新規事業開発、組織開発、デジタル開発等、横断的な経験をもとに、何を・どこまで・どうやって実現するかが定めづらい、未知なる取り組みの進行手法を考える「プロジェクト工学」の構築に取り組んでいます。
著書に「予定通り進まないプロジェクトの進め方(宣伝会議)」「”プロジェクト会議” 成功の技法(翔泳社)」等。